◆思考過程をきちんと残すことの重要性!

◆思考過程をきちんと残すことの重要性!

最近は、学校の教室内でみんなで先生が示した一つの課題に協力して取り組んだりして問題解決をしていこうというとても画期的な授業がなされていておおい結構なことだと思うが、その反面、テストにおいては、マークシートの入試やそれを想定し学校の定期テストもその解答様式のものも出て来たように思える。マークシートの客観的メリットも数多くあるということは確かに事実であるともいえる。

ただ、数学や英語や理科や国語や社会などの教科において例えば4択の選択問題に限定した場合、一つの正解がなぜ正解なのか、そして、その他の3つはどういった点で間違っていて不正解なのかというチェックは細かくなされているのかということを考えてみると、より具体的には指導側でも問題を解く側でも果たしてどうなのか?を考えてみると、多少不安になるのは、私だけなのであろうか?

たとえば、小学校の算数や中学の数学を例にとると、答えだけ出そうとするのに躍起となり、途中結果があまり書かれていないという傾向を他の塾の先生や学校の先生に伺ったことがある。

確かに答えを出さなくては、元も子もないわけであって、生徒本人も親も学校や塾の先生も高得点を取ることを目指すのもわからないわけではない(そういう私自身も同じようなことを思う場合も多々あるというのは正直なところである。)。しかし、授業中に答え合わせをした場合、選択問題の答えがどういう根拠で出たのか?を正確に答えられなければ、「それは、自分で導き出した答えではないぞ。」と言うことにしている。

とにかく、どういう過程でその答えが出て来たのか?あるいは答えが出ないにしてもどこまで自分で考えたのかが残せていない子が多くなった気がする。まさか、昔の〇×式の問題をこのマークシートの問題が彷彿とさせるわけでもあるまいし、そんなことは絶対にありようはずがないと心から信じたいのである。

とにかく自分の思考過程を数学のように式に示さないとしても、ほかの教科では少なくとも口頭では言えるような練習をさせたいものと考えている。特に数学においては、答案には途中経過をきちんと残しておくように指導したいと思っている。もし、間違っているとしたら、どこで間違ったかを自分で確認するのに、果たしてこれより良い有効な方法があるのかと考えている。ところがこれを生徒たちに定着させるのは、思ったほど容易いと考えるのは甘いと感じているのが今の私の本音である。何せ、与えられたもの(公式など)に当てはめることは私たちよりずっと早い能力を今の子供たちは持ち合わせているせいかもしれない。

その他の教科でも、選択問題で不正解なものは、どのような理由で不正解なのか、しつこくしつこく聞くことにしている。こういう問いかけをしているうちに、問題の本質の輪郭が次第に見えてくるようになってくるし、そのことによってその他のそれに関連する問題がだんだんとできるようになってくるのである。

こういうことを選択問題できちんとやっていくと、かなり時間が割かれることになるのであるが…。

めげずに根気よくやっていこうと思う。