◆中学「歴史と公民」の関係性

◆中学「歴史と公民」の関係性

歴史は、過去から現在まで続いている。それに各地域([※注]国家が出現する以前まで含めるので、たまたまそのように表現した。)ごとに異なる歴史、また、全地域を通してほぼ共通性をもった歴史も在り得る。

ただ、ここでは例として、ごく狭い範囲に限定する。その例として教科書で、日清・日露戦争の箇所では、「帝国主義」についての記述が出てくる。大まかに言って、「帝国主義」とは資本主義が発達した欧米諸国が、軍事力を背景に資源や市場を求めてアジア・アフリカに進出することという説明がなされているようだ。

しかし、生徒はこれをすんなりと理解できるのかという問題が起こり得る。

その理由として、帝国主義の説明に「資本主義」という語句が入っているからである。

もっとも、厳密に言えば、「資本主義」の定義は学者の数ほどあると言われているのだが。

中学生にとって、そこまで深入りする必要は全くないとは思うが、少なくとも資本主義経済とは果たして如何なるものか?ということにある程度の時間をかけて理解させることが肝要と思われる。現代社会を扱う「公民」においても、資本主義の構造的理解は、ただ経済分野のみならず、その他のあらゆる分野とも深いかかわりを持つ項目である。

歴史をただ単なる歴史的事実の羅列だけの学習では、けっして十分とは言えず、「資本主義経済社会」の例のように、やや理論的に構造的な面から筋道を立てて、因果関係に基づいた指導もぜひとも必要な気がする。

さて、中学公民に移ろう。公民では、非常に大まかに言えば、現代社会・政治・経済・国際を取り扱う。先ほども述べたように歴史で言いえば、ほぼ現代のことを取り扱うといっても、それほど間違いとは言えない。

しかし、公民において、歴史的見方が全く必要ないかといえば、決してそうではない。

例えば日本国憲法をめぐっても、その特徴を際立たせるために、どうしても、歴史的にさかのぼり、大日本帝国憲法と比較する必要がある。

さらに、日本国憲法制定の歴史的経過もできるだけ客観的で公平な立場で学習することも、今後の憲法の在り方にかかわる意見形成に何らかの意義を持つと思われる。

雑談になるが、何十年も前に日本国憲法の前文をその内容の吟味も理解もせず、丸暗記させて定期テストに出していた中学校があった。

さらに、もっと昔、今では考えられないが、高校の政治・経済の教科書に資本主義経済の仕組みをマルクス経済学に基づいて剰余価値発生の説明をしていたものがあった。さらに驚いたことに正確には覚えていないが、いずれ、社会主義の国家があたかも増えていくかのような期待をこめてかのような叙述があったような気がする。まあ、今の時代から当時の過去の時代の教科書を批判することは、決してフエアーとは言えないのではあるが。

雑談は、そのくらいにし、ここまでをふりかえると、「歴史学習」においても歴史を動かす原因をある程度、構造的な理論として学習する必要があり、また、「公民学習」において、例えば「人権」の概念も歴史性をもっているものであり、制度や理論そのものだけではなく、その歴史的経過の重要性を加味した丁寧な指導も必要だと考える。

歴史は歴史、公民は公民というように二元論的にとらえるのではなく、それらは相互に依存関係があるととらえる必要がある気がしてならない。