🔷かなり以前の小学校理科の教科書を見て思うこと


🔷かなり以前の小学校理科の教科書を見て思うこと
        (1)
たまたま、昭和43年発行の『新訂版 小学校理科 4年1』(大日本図書株式会社)の教科書を見る機会があった。
4年1とあるのは、もくじ(※小4のためにひらがなで書いてある。)を見てその理由がわかった。
4年1のもくじは1から14の項目に、4年2のもくじは、15から27の項目に分けられている。
それは、以下のとおりである。

【4年1】
1.いものうえつけ
2.気温しらべ
3.エンドウ
4.じょうぶなからだ
5.ニワトリとウサギ
6.モンシロチョウ
7.いものそだち方
8.カとハエ
9.池や小川の植物
10.海べの生物
11.夏の温度しらべ
12.夏の星
13.川や海の水のはたらき
14.てんびん

【4年2】
15.てこ
16.ポンプ
17.でんぷん
18.あぶらとたんぱくしつ
19.食べ物とえいよう
20.水と水じょう気と氷
21.食塩水
22.冬の温度しらべ
23.生物の冬ごし
24.冬の星
25.もののうきしずみ
26.ものののびちぢみと温度
27.かん電池とまめ電球

このもくじからすると、4年と言えども、かなり広範な領域にまたがっている。

    (2)
ペラペラと教科書をめくっていくと、学習項目の広さだけではなく、写真もあるが、絵で描かれている部分が非常に多いのに気づかされる。
わたしなどにとっては、絵の部分にかえって新鮮さを感じ、親近感さえ覚えるのである。
エンドウの花のつくりや池や小川の植物も海の潮だまりの様子もすべて絵である。
当時の植物図鑑や貝の図鑑も写真ではなく絵で描かれたような気もする。
そういえば、小3の頃だったか、夏休みに父と母と下田の海に行った。泳ぐはずが3人でタイドプール(潮だまり)に入って海中眼鏡で中を覗いたら、青いウミウシや小さなハゼや貝やイソ二ンチャクがいて夢中になった。なんか別世界のような気がした。
3人とも夢中になっていたので、家に帰ったら背中が日焼けでヒリヒリしていたっけ。

    (3)
今手にしているのは4年の1のものであって、4年の2のもくじはたまたま4年の1に載っているもので、その教科書はなかったので見られなかった。
けれども、もくじ17に「でんぷん」というのがあり、なんとも、嫌なことを思い出してしまった。
あれは、確か小学4年の冬のことではなかったか?
そのとき、ジャガイモをすって自分ででんぷんを作り、明日提出するという宿題がでた。
ところが、遅くまでテレビを見ていてそれから宿題をやろうとしたのである。
たまたま、その時、家には干からびたジャガイモが一個しかなかった。
それをすって、うわずみの水を何回も捨ててからほんのわずかなでんぷんをこさえようとしたが、じれったくなって、ストーブの近くにもっていき、あたためれば良いと思ってやったら、糊状になり、失敗してしまったのだ。
次の朝、父親が会社に行く前、トロめきのある豆腐のおつゆをうまそうに飲んでいた。私は母にどうやったらトロッとするのかを聞いたら、片栗粉を入れるのよ、という。
台所に行って粉をもってきて、母に見せると、それは小麦粉だと言われ、笑われる。小4の子供の私にとっては小麦粉も片栗粉も区別などできっこないのである。適当に別の粉をもってきたら、その袋の後ろに「馬鈴薯」と書いてある。父になんと読むのかと聞くと「バレイショ」と教えてくれた。
それで、それは何かと聞くと、ジャガイモのことだという。

     (4)
そこで、私はひらめいたのである。トロッとしたものになるのがジャガイモを原料にした粉だって。ゆうべ、ジャガイモからでんぷんを作ろうとして、温めて糊状になったものがまさしくこれであると。
それからの私の行動はすばやかかった。
母が父を玄関まで送っている間に、片栗粉をビニール袋に入れて、朝食も食べずに学校へ急いだのである。

    (5)
教室に入ると、まだ先生は来ておらず、みんな自分で作ってきたでんぷんを見せ合っていた。
わたしは誰にもみせたくなかった。
それなのに、クラスで一番おしゃべりな女の子に無理やりに見られてしまった。
みんなの作ったでんぷんは私のほど白くなかった気がする。
すると、彼女は「英樹君の、真っ白だね。ほら、みんなこっちに来て見てごらんよ。」

   (6)
ちょうど、そこに担任の女の先生がいらして、わたしは事の顛末を正直に話し、大いにしかられ、みんなに笑いものにされたわけである。
でも、今でも、本当は私が悪いのであるが、私の学校に持っていったものは、でんぷんに違いがないではないかと屁理屈が言いたくなるのである。
でも、良い子のみんなは、決して真似してはいけませんよ。

   (7)
結局、小4の1の理科の教科書からだいぶ話は脱線してしまったが、そのもくじから昔のことを思い出してしまったのである。
その意味で、この絵が多い教科書に会えたことに感謝したい気で一杯になった。