公立中学校(注※1)の多様化傾向について

公立中学校(※注1)の多様化傾向[途中で雑談あり]について

(※注1)厚木市内の市立中学校の内、     当塾に通っている生徒の在籍中学校に限定する。

(1)

まず、細かなことであるが、夏休み明けの二学期の始まりの日である。各学校とも8月中であるが、微妙にずれている。このようなことは、相当以前はなく、だいたいどこの学校も9月1日(休日の場合は別)であった。けれども、ここ数年来、2学期の始まりは、微妙にずれているのである。

(2)

現在は、だいぶ感染状況がおさまりつつあるが、今年の8月、9月の上旬は、新型コロナが拡大傾向にあったために、一日おきの分散登校と午前中授業等の影響で学校の学習の進度が遅れてしまったのはいたしかたなかったといえよう。   当塾でも生徒の安全のために9月の初めは、オンライン授業にしたくらいである。(現在は通常の授業である。)

そのような理由で、今回の中間テストは、一学期の範囲からも相当出題された。

さらに、驚いたことに、中間テストを行わない学校もあった。おそらく、学校側で進度状況や生徒の様子等を熟慮して判断されたことだと推察される。

(3)

さらに、体系的な科目としての数学などは、以前は、学校等によって、進み具合は、多少ズレがあったとしても、およそ、教科書の順に各学校とも、授業を行っていたように思える。

ところが、学校によっては、途中から教科書の終わりの方の確率から入るところもある。もっとも、単独に確率や統計のところをやったとしても、文字や連立方程式や一次関数に直接関わりがないと考えてかわからないが、数学教師の考え方によるのであろう。

以前は、あまりというか、めったに、このようなことはなかったのである。

 

(4)

評価対象に入れるものについても以前と比べてだいぶ変わってきた。

相当前は、中間・期末・学年末テストなどの定期テストの割合が相当多かった(今でもある程度はそのようなことがいえるであろうが。)が、最近では、(2)で述べたように中間テストをやらない学校もでてきている。(もっともこれは、臨時的なものかもしれないが。)

学校によっては、テスト直しを評価に入れるところもある。

また、理科などは、自分で作ったノートなら、単元テストに持ち込んでもよいという学校もあるようだ。(これを「持ち込み可」と得意げに先生が言っていたようである。)

[「持ち込み可」から思いだすこと。雑談]

わたしも、大学の学部で教えていたときの定期テストで自分の書いた教科書を持ち込み可にしたことがある。逆にいくつかのテーマをあらかじめ与えておいて、持ち込み不可にしたことはある。ところが、不思議なもので、持込可にしても不可になり単位を落とす学生がいた。これは、どういうわけか、採点しながらよくよく考えたものだ。そういう学生は私の授業は履修届けに出し受講していたはずだが、私の授業に出席していなかった。12月の最終日の授業のときは、いつもは、そんなに混んでいない教室が入れなくなるほどいっぱいになるのである。そこで、はたと、わかったのである。27歳くらいの青二才の大学院生の私の講義など面白くないに決まっていると。

だから、授業に出席しなくなり、単位が欲しくて定期テスト前の日だけあんなに教室が混むのかと合点したものである。

したがって授業に出席していないので、

当然教科書も買ったばかりで読んでいるはずもなく、それゆえ持ち込み可にしたとしても答案は書けなかったのであろう。

ひょっとして、これは自分の責任が80%以上あったのかもしれないとおおいに猛省したものであった。

今から思えば、自分がその授業を聞いていたら、あまりの無味乾燥なつまらなさに教室を出ていったのかもしれないが、なにぶん学部での初めての講義だったので仕方がなかったと自分を自分で正当化することにする。

(実は、そのことを考えると今でも耳まで赤くなるほど恥ずかしいのである。)

[雑談終わり]

 

(5)

昔は神奈川県の中学校ではア・テストというのがあった。

私の中学のころは、1年生と2年生があった。その後、2年生だけになり、内申の占める比率も変わってきた。

中2までの9教科のテストであった。

その関係で県立高校入試5教科の内、理科などは中3の範囲が中心であった。

その点で理科の場合、他の県の入試問題と範囲と傾向が異なっていたのである。

その後、ア・テストは廃止され、学習状況調査という形はしばらく残ったが、内申点に入らなくなったのである。

別にア・テストについてどうこう言うつもりはないが、このような神奈川県のどこの中学校でも同時に共通な問題を行うことは、いろいろ議論はあることかもしれないが、学習の評価という観点からすると、ある程度の客観性があったとも言える気もする。

もちろん、画一的な教育という問題点があるにはしても、あまりにも行き過ぎた多様化から起こる評価の基準のばらつきと評価に入れる定期テスト・単元テスト・意欲・関心等が5段階評定にどのくらいの比率で入れられるのかを、さらに、どのように客観的に各学校間で比較ができるのかということを考えると、なんとも不思議な気がする。

神奈川県の公立高校入試の共通問題は特殊な問題を除いて同じだということを考えると内申点と入試の得点の厳密な相関関係について学校間による評価・授業のやり方等が影響を全く与えないと言い切れるのかという疑問が出てくる。これは、昔から言われてきていることであるが、最近の公立中学校間の多様化が一段と進む中でどんなものなのであろうか?などと素朴な疑問として思ってしまうこと自体、わたしの時代錯誤がはなはだしいと言うのであろうか?そんなことをふと、素直に思ってしまうのである。

もっとも、高校自体も各学校で、内申:学力検査(入試):面接試験の比率が違うことからしても、それらが、学校側が欲しい生徒のあらわれと考え、生徒側も自分に有利な比率の学校選択ができるというメリットもあるのかもしれないし、ここにも教育の多様化が如実にあらわれているのかもしれない。

(6)

以上をもって、教育の多様化と各学校間の評価の客観性・比較という問題意識が自分自身にとって新たな課題として浮かび上がってきた。

また、機会があったら考えてみようと思う。