◆中3社会「公民」における【基本的人権】の指導において注意すべき点

◆中3社会「公民」における【基本的人権】の指導において注意すべき点

公民において日本国憲法はその学習事項の主な一つの柱であることは、周知のことである。その三大原則は「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」である。特に「基本的人権の尊重」の学習に関係する「人権」そのものの考え方は、既に中2で学習済みの歴史で取り扱われた「人権」の考え方が出現する社会背景についてはしっかり復習すべきである。ただその場合かなり前の歴史まで振り返り辿っていく必要が出てきて、生徒にとってはやや分かりにくい点も出てくるかもしれない。そこで、公民では基本的人権がはじめは「自由権」からそして「社会権」さらに「新しい人権」の考え方が出てくる過程を歴史的に順を追って学習するのである。自由権には何があり、社会権には何があり、新しい人権には何があるという整理の仕方も、もちろん大切なことではあるが、何故、自由権の考え方が出てきたのかというその歴史的な社会背景について学習しなければならないのである。すなわち自由権がない社会はどんな社会であったかということを生徒がしっかりと今の社会との違いを比較し、そして想像し、知ることが必要である。そのことにより自由権の認められた現代社会を含む「市民社会」・「資本主義社会」がより明白になるのである。ここにおいて市民革命以前とそれ以降の社会がどんなに違っているものなのかが、生徒にとってより鮮明になり、市民革命の意義がはっきりとするのである。さらに、これらの市民革命を牽引した思想家の思想すなわち人権思想の学習の必要性が出てくるのである。とりわけジョン・ロックはロバート・フィルマーの「王権神授説」を徹底的に批判するのである。そして、『市民政府論』の中で市民革命を牽引する強力な思想の一つになるのである。この思想がアメリカ独立革命に「生命・自由・財産」の観点から多大な影響を与えたところは知られていることである。経済的視点から見たこの資本主義社会は当初は産業資本主義段階であったのであるが、産業革命を経て独占段階になるにつれて変容をきたし、市民革命においてはともに絶対王政(制)を倒した資本家階級と労働者階級の平等関係は次第に形式的平等(実質的には平等でない)となり対立が深まるのである。資本家は労動者階級を低賃金で無制限な長時間労働を強いるようになる。いわゆる労働問題をはじめとする社会問題が発生するのである。マルクス・エンゲルスらの著作のイギリスの当時の状況の描写を見ると、その状況がより具体的にはっきりとみてとれるのである。ここにおいて資本主義社会はどこの国においても発達の度合(産業革命の時期は国ごとに異なるが)の違いはあれ、概ね同様な過程をたどる。この段階になると生存権をはじめとする社会権の台頭が起こるのである。ワイマール憲法、日本における社会政策理論史でどうしても避けて通ることのできない重要な「大河内理論」の社会政策を「労動力の保全培養」とする見方も出てくるのである。つまり、社会権の考え方が出現するには、それに応じた社会の大幅な変容があることを生徒にはわからせたいものである。さらに現代社会になるに連れて、日照権、環境権、プライバシーを守る権利、知る権利、自己決定権などの新しい人権が出現してきたのである。これにおいても現代社会が「社会権」の考え方が出てきた時代とは様相が大幅に変容してきた独特な現代社会の影響から「新しい人権」を捉えていかねばならない。ここにおいて、「人権」がその背景にある社会の変容とともに変わっていくという対応関係があるということをしっかり生徒に理解してもらいたいところである。ただ誤解があってはならないことは、「自由権」か「社会権」か「新しい人権」かという択一的な考え方ではなく、「自由権」も「社会権」も「新しい人権」もということをもって「基本的人権」を考えていくという姿勢は特に大切である。

そういった歴史的にとらえた基本的人権の考え方をしっかり下地として学習しておくことが、これから日本国憲法を学ぶにあたって、なにより大切だと考える。

ここ十年の間、生徒が当塾の定期テスト対策時に学校のノートもしくは先生が作られたプリント等を見させてもらっているが、ノートには要点だけが書かれているものが多かった。決められた時間内での授業のノートなのでそれも致し方がないことだと思われる。先生が作られたプリント中には私が上で述べた社会背景との対応関係が示された工夫されているものもいくつかあった。

とにかく、生徒が何を理解したかということを、重要語句の理解だけでテストの評価をつけてしまうきらいが無きにしもあらずで、「社会」がただの暗記物と思われてしまうことは、はなはだ残念であり、もどかしい気がするのは私だけなのであろうか?