◆知らずしらずのうちについてくる知恵

◆知らずしらずのうちについてくる知恵

学習塾をやっている私が言うのもなんとも妙であるが、塾という立場をいったん離れて、物申すのも季節の変わりつつあるこの時期には、たまにはいいのではないか、などと勝手な理屈をつけてみる。

わたしが高校2年生のとき、日本史の先生が郷土の歴史について何か一つテーマをしぼってレポートに書いてこいと言い、これを夏休みの宿題に出した。

ただし、資料をまとめただけでは、あまり高い評価をつけないというのである。そこに長いこと住んでいるお年寄りからそのテーマに関連している昔から言い伝えられていることで詳しく知っていることを聞き出して、そのことを必ず付け加えるという条件がつくのだ。

先生が言うには、お年寄から話を聞き出すのは思ったほど簡単ではないという。

そんなことあるものか!そのテーマについて近所のお年寄りから何か聞き出し、それをレポートに付け加えればいいだけのことで、いとも簡単ではないかと高をくくっていた。

わたしは、日向薬師のことをテーマにしようと思い、兄のサイクリング自転車を借りて日向薬師まで行くことにした。       ところが、その自転車は、ぼくの中学校から乗っていた自転車と違い、スタンドがついていない。ペダルも靴がはめられるようになっていてなんとも不慣れなわたしには非常に乗りにくいのである。休みやすみ行ったのであるが、途中でお店(※当時は今のようにコンビニなんてない。)に寄ってジュースなどを飲んで休んだわけであるが、スタンドが付いていないので路上に自転車を倒すしかなかった。

おととい友達と三浦海岸まで海水浴に行ったばかりで、ちょうど日焼けした腕と肩が皮がむけそうになっており、真夏の照りつけるこの日差しには、とても叶わなかったので、日向薬師に着くまで、けっこう時間がかかってしまった。

随分前のことなので、記憶が定かでないが、中を見学させてもらおうとして、薄暗い中に入ってみたら、確か二体の菩薩様(月光菩薩様と日光菩薩様かもわからない。)がいらした。これをじっと拝ませていただいていると、なんだかとても厳かな気分になったのを覚えている。そして、そこにじっとしていたい衝動に駆られた。その後、パンフレットをもらってきた。これを参考に後で厚木市立図書館(※今の本厚木の駅前に移る前の場所)でも行ってみて、日向薬師について、さらに詳しく調べてみればいいと考えていた。

今日のところは、パンフレットは手に入れたし、後は近所のお年寄りを見つけて話を聞きさえすれば、目的は達成できるものと安易に思ったのである。

ふと見ると杖をついてベンチで休んでいるお年寄りの男性がいたので、これはラッキーとばかり、声をかけてみた。すると、ニコニコしている。蝉がうるさいまでに声を張り上げている。蝉の声がいったん穏やかになりかけたころに、彼に「日向薬師についてお話をお聞きしたいのですが。」と言うと、「わたしはここの人間ではないので。」と言われてしまった。そうか、彼はこの近所に住んでいるわけではないので、しかたがないかとわたしは、諦めたのである。

自転車で長い時間乗ってきたせいか、どっと疲れが出てきて、木陰のベンチで少し休むことにした。

そのうち、うつらうつら寝てしまった。

2,30分経って目が覚めた。

すると、今度は、80歳くらいの女性がいるではないか?

よし、もう一度、試してみるかと、彼女に近寄ってみた。

そして「日向薬師のお話をお聞きしたいのですが。」と言った。

すると、「いいよ。」と笑顏で答えてくれた。

わたしは、目の前にまるで女神が現れたような気分になり、とってもうれしくなった。

「これでうまくいくぞ!イヒヒ!」とほくそ笑んだくらいだ。

 

ところがである。彼女はなかなか、わたしの聞こうとしている日向薬師に関する本題に入らない。

入らないどころか、わたしにあれこれ聞くのである。「どこで生まれたのか?」「今はどこに住んでいるのか?」「歳はいくつか?」「高校はどこに行っているのか?」等々。

まずは、相手から日向薬師に関する言い伝えを聞き出すためだから、ここは、耐え難きを耐え、しのびがたきをしのんで、なんとか彼女に合わせようとしたのである。

ぼくの熱心な答え方に彼女の方も気分をよくしたのか、こう言った。

「じゃあ、日向薬師に関する良いことを教えてあげようか?」

ぼくは、拝むような気持ちで「ぜひ、お願いします。」と言った。

すると、彼女はおもむろに口を開け、わたしに向かってこう言ったんだ。

「あそこの日向薬師の中に行ってパンフレットをもらってくるといいよ。よくまとまって書いてあるわい。参考になったじゃろ!」

わたしは、苦笑いせずにはいかなかった。

これ以上聞いても無駄だと思い、深々とお辞儀をし、家路に急いだのである。

帰りの自転車に乗っているとき、日本史の担任の先生が言ったことが痛いほどわかった。

かくして、評価のことはさておき、このレポートにはインタビューの内容は、一文字も載せられなかったのである。

今だったら、もう少し事前に調べておき、何をインタビューで聞き出せばよいかと質問項目をもっとはっきりさせておくはずである。

それに、彼女がパンフレットを見ればよいなどと言っても、それにめげず、もっとしつこく聞けばよかったし、直接、日向薬師のことを聞くのではなく、雑談の中からうまくしゃべらせることぐらい考えるのだがな……。

しかし、当時17歳の高校生のわたしにはそれが、無理だったというのも真実である。

それに、一日で宿題を終えてしまおう、それに、インタビューなんか簡単だなどと高をくくっていたのが間違いだったとおおいに反省している。

こんな、恥ずかしい失敗の連続が今の自分を作ってくれているのかと思うとあの時の日向薬師の失敗体験がわたしにとっては、宝のような気がしてきたのである。