
🔶『「当てはめ」と「理解」⁉️』
「点を取るにはどうすればよいか?」ということは確かに大切に思われるのはもっともだが、こういう理解の手順で、それをあたかもアルゴリズム化、すなわちあたかも短絡的に段階的なリニアーな所与のマニュアルとして考えてしまうことは、今少し考えなければならない気もする。
点を取るためには、類題を解くことによって、そのパタンに慣れ習熟することによってある程度可能である。
さらに解き方というマニュアルに当てはめればある程度は、得点を取ることが可能である。
しかし、得点は満点だとしてもその問題の本来の意図や本質的理解とは、生徒に細かく問いただしてみると、必ずしも一致してるとは言いがたい。
よく他塾さんの方との意見交換の場でこういうことを言う生徒や保護者の方が以前と比較して多くなってきたとの話題が出る。
それは、「勉強の仕方がわからない」という声である。
これとても、あたかも最良の方法があるはずであるという「当てはめ」ればできる、もっと得点が取れると思いこんでいる傾向があるのではないか?
そして、それにしたがって得点が取れることはその内容が完全に理解できたと解釈してしまうことである。
「当てはめること」、すなわち「適用すること」と「理解」を同一視することには、自戒の意味を込めて、これからの教育にとってますます慎重にならねばならないと痛感した次第である。
最近の「選択問題」のマークシートは、確かに採点の客観性や時間的効率性の観点からは、ある程度必要ではあるが、どうやって生徒がその解答を導き出したかの途中経過を教師側がきちんと把握できないという意味で多少歯がゆい思いもするのである。
令和8年 2月24日
