★図形の「完全証明」と「穴埋めによる証明」(中2数学)
生徒の中には、完全証明が好きで、あれこれ別解による証明を考えるのを得意とする子がいる。
もちろん、解答はシンプルなほうが見栄えが良く見える場合もあるが、多少、冗長でまわりくどくても、証明のための論理の筋道が的確で、使った仮定、合同条件等が明白に書かれており、きちんと結論まで、不必要なことは書かず正しく導き出せている答案ならおおいに満点をつけることにしている。
ところが、完全証明では全く手が付かず、ある程度の得点を取らすためには、どうしても、穴埋め問題をテストで出題せざるを得ないと言っている学校の先生がいた。
何ゆえ、証明を数学で学習させるのかという観点からすると、こういった傾向に対しては全く疑問を持たないかというと、ウソになる。
けれども、現実には、いくら補助の先生がついたとしても必ずしも、学校の生徒全員が証明の方法を完全に身につけるまで十分時間をかけるのは、ましてこういうご時世なら物理的に不可能ということも十分在り得ることであろう。
ところで、証明問題の途中が空欄になっており、下の欄から該当するものを選べという問題なら、前後関係から判断し、正しいものをある程度選べるということにもなる。
得点を取らせるためには、こういうテクニックを教え、類題を解かせることによって、穴埋め問題をマスターさせようとする塾もあると聞いている。
その講師によると、生徒ができるようになると、本人も証明問題に自信を持ち始め意欲を持つようになるらしい。
それは、たいへん結構なことで何よりのこととは思うが、私にとって、そこには多少の不安が残るのである。
解けるとか解けないとかは、とりあえず、別として、完全証明を自分で考える姿勢はそもそも、できているのかということである。
しかし、逆に完全証明に喜びを感じている生徒にとって、穴埋め問題は、他人の証明の仕方に自分自身を無理やり当てはめることになり、全く興味が持てなくなってしまう場合もあるのである。
だから、場合によっては、文をきちんと一字一句正確に追えず、極端な場合には間違えてしまうこともある。
その子にとっては自分でゼロから考えることが楽しいのであり、出来上がったものに自分を合わせるのは嫌なのである。
ずいぶん以前、完全証明問題で全く違った方法でを解いた二人の子がいた。
それで、二人に前に出させてホワイトボードにそれぞれの解答を書かせ、みんなの前で各人に説明をさせた。そして、みんなと私を交えて、その証明箇所の細かい各部分について質疑応答した。
わざとわからないふりをしてその証明を聞いている子に聞いてみるのである。
なぜかというと、そうすることによって、生徒の理解度を確認するためである。
生徒の中には「先生、そんなこともわからないの?」
「うん。どうしてそうなるの?」と聞くと、発表者の説明を聞いていた子が私にその子の言葉で丁寧に説明するのである。
「あ、そうだったのか?」と驚いて見せると、その女の子は得意になっているのである。
わたしは、少しでも完全証明に興味を持ってくれたらいいんだけれど、という淡い期待を抱いて。
最後に二人とそれを聞いていたり質問した子たち全員ををほめたたえるのである。
ところが、やる気になったのはよかったのだが、このクラスは、ほとんど穴埋め問題には見向きもせず、完全証明の別解探しに夢中になってしまったのである。
よく考えてみると、「証明における穴埋め問題」も「完全証明の問題」も同じ証明の学習項目にはいるのだが、ある意味においては、全く別物とも見てとれるのである。
学校のテストでよい点を取らせるというのがもし塾の1つ使命と考えるなら、バランスをとった指導も必要なんだということに改めて気づかされたのである。
しかし、正直なところ、本当にそれでいいのか?という疑問は何十年も思い続けているのである。
したがって、「完全証明」か「穴埋めによる証明」かの指導の取捨選択およびその比重の置き方には今でも、頭を悩ますのである。