★社会科学における「体制論」の学習の果たす意義と子供たちの議論について
社会科の教科書とりわけ「公民」において、現代社会の特徴として「グローバル化」が取り上げられてから久しい。
その反面、以前取り上げられていた経済・社会・政治体制といったいわゆる「体制論」に関わる記述は昨今の時代状況を反映してきたせいか、近年だいぶ減ってきたような気がするのは、果たしてただの私の間違った思い込みなのであろうか?
70年代から80年代におもてだって、かなり議論のされた体制論(比較経済体制論、体制収斂論やそれに対する批判の立場もしくは肯定の立場との間の議論)をめぐる問題意識が地下深くにもぐりこんでしまったような気がするのはわたしだけであろうか?
社会科の取り扱う内容は、ある意味では、刻一刻と変わっていく現代の社会状況を反映しているのは確かに、わかることであるが、歴史的変化の要素を内蔵している社会経済構造を「基本」・「根本」から再度考えてみるという姿勢も、社会科の一つの大きな役割と考えるが、いかがなものか?
そして、それらを、現代の状況と照らし考察し議論する必要があるのではないか?
それに、特に、技術史観についてもさらに学習することも、今日の技術のあり方が人々の生活様式・人々の思考習慣の変化の予兆を考えていく上で、より大切なことなのかもしれない。
社会経済政治状況を基本から構造的にとらえ、子供たちが自分で考える姿勢の培養も、すぐに世の中に役に立つかどうかという近視眼的視点だけではなく特に昨今の国際情勢を鑑みるにつけても日本国憲法前文に記載されている平和の理念と民主主義に基づいた平和教育とともに社会科の「公民」という教科にとって案外と大切なことなのかもしれない。
当然、教師が間に入ってうまくリードし、子供たちに議論をさせる中で自分とは異なる他の生徒の意見を聞くことによって、子供たち一人ひとりの考え方がより深まっていくような指導結果につながるとしたなら、なによりのことだと思われる。
ただし、教師の事前の準備と基礎知識の理解はその前提としてきわめて重要なことは、いうまでもないことである。
こんなことをついつい考えてしまうのである。