◆【本音】今日は日曜日だけど……(本当は言ってはいけないのかも…🤫)

◆【本音】今日は日曜日だけど…(本当は言ってはいけないことかも🤫…)

今朝は中学のある学年の授業があった。

期末テストが近いので、やることにしたのである。

自分で予め言っておきながら、寝坊すると大変なことになる。

実は昨日(土曜日)相当長い時間授業をもったので、多少疲れていたというのが、本当のところである。

疲れていればぐっすり眠れると思いきや、明日(※今日の日曜のこと)は、うっかり寝坊するといけないと無意識のうちに思っていたのか、眠ると、すぐ目が覚める。

時計を見ると、まだ朝の4時で暗い。

まだまだ眠れる。

それで、また眠る。

目を覚ますと、まだ5時である。

もう一寝入りしようと思い、また寝て、時間を見ると、6時である。

この場における用語の使い方はおかしいけれど、「仏の顔も三度まで」というくらいだから、もう一度寝てしまったら、授業の始まる午前9時を過ぎてしまうかもしれない。そんなことにだまされないぞ!それに「早起きは三文の徳」というではないか?

そこで起きていることにした。

話は変わるが、ぼくが中学生だったころ、中間テストや期末テストがある前は一応予定は立てるが、勉強をしようと思うと、ときどき、なぜか、とっても違うことがしたくなるのである。

たとえば、学校で口喧嘩になってしまった女の子と明日どうやって仲直りするかを考えたり、スカルラッティのチェンバロのレコードが聴きたくなったり、みかんを半分に切って絞って飲みたくなったり、全然違う本が無性に読みたくなるのである。これらのことを我慢して勉強をしても、ますますそのことが気になってしまい、勉強が手につかない。

だから、必ずしたいことを思う存分やってから勉強するのである。(良い子のみんなは決して私のまねしないでね!)

さて、時計の針を今朝の6時にもどすことにする。

朝飯はこんなに早くは出てこないし、本は読みたくないし、テレビも見たくないし、時間をもてあますことになった。

さりとて、もう一寝入りしたなら、遅刻して、生徒や親たちに、どうにも申しわけが立たない。

さて、困ったぞ!

いったいおれは、この中途半端な時間をどう過ごせばよいんだ!

時計を見ても全然時間が進まないので、じれったくなった。(※もしかしたらこれこそが主観的時間なのかもしれない。)

スマホを見てみた。

連日のテスト対策のプリント作成のため散歩にもいけず、新しく撮った写真もない。

そうだ。

なんか投稿してみようかな?

おまけに写真でも添えて。

メタのフェイスブックに写真を投稿するやり方は忘れてしまったので、手っ取り早いのは、インスタグラムに写真を載せて駄文を書き、それをフェイスブックに飛ばせばよい。

エヘヘ!🥳

これで時間が少しは経ってくれるし、授業前の頭の訓練に少しはなるかもしれないぞ!一挙両得だ!

そして、その作業にとりかかり始めると、案の定、時計の針がくるくる回り始めたのである。(今の今まで止まっていた主観的時間が加速度的に進んできたように感じられる。[※この表現はちよっとばかりおかしいかもしれないけれど、ご容赦願いたい。])

そんなことをしながら、ない頭を絞って書いていると、あっという間に8時になってしまったのである。

(ほうれ見ろ!もし、6時にもう一度寝ていたら、遅刻ということも十分ありえたはずだ!言わんこっちゃない。イヒヒ!主観的時間というか内的時間とは実に怖いものである。)

トーストをかじりながら、太宰治の『走れメロス』のことがふと頭にうかんだ。

メロスが幾多の試練を乗り越え、力尽きて、まどろんでいるとき、自分の本来の目的から遠ざかり、自分を正当化するところがあった。

わたしにも、一瞬こんな思いが、頭をよぎった。

「どうせ、今日は日曜日だ。来ない生徒もたくさんいるんではないかな?」「もし、だれも来なかったら、えへへ!今日は待望の日曜日になるぞ!」などと不謹慎なことをほんの一瞬とはいえ、思ってしまった。

でも本当は「一人も来なかったら、なんか虚しくて、さみしいな!」

たれも来なかったら、こんな寝坊をしないための私の努力は無駄になるな!

「生徒も親もどうせ、私の苦労など、ちっともわかってくれないに違いない。」などといじけてしまった。

ところが教室に行ってみると、全員来ていた。

ぼくは、何だか、だれにも言わなかったけれどとってもうれしくなった。

質問をする生徒に思わず大きな声で説明している自分に、はっと気づいた。

朝9時から11時50分の間だけれど、みんな集中してやっていた。

私が中学生のころ、あんなに集中してやっていたかな?

彼らは、家でちっとは息抜きをしてもらいたい。

このクラスの生徒はどういう偶然か、全員私の後輩である。

(※注)中学か小学校の。

こう書いたのは、私がその当時、まだ片方の小学校と片方の中学校はなかったからなのである。

(※追記)

塾としては、立派とは言えないことを書いてしまったように見えるかもしれないないが、たまにはこんな本音もいいかなと思って書きました。それにわたしの心理の変化も垣間見えたのではと思って。🕕➡️🕘➡️🕛   🌳🐿️👦➡️👩‍🏫