◆中学の教科間の共通事項に対する教師の説明の仕方と関連認識の重要性
きのう、授業後、生徒がこんなことを言っていた。「どうして国語では、形容詞と形容動詞があるのに、英語では、形容詞しかないの?([※注]もちろん、ここでは、その他の品詞のことは問題にしていない。」
こんな質問が出るには、おそらく、学校でたまたま国語の文法の時間に用言(動詞・形容詞・形容動詞)の学習と、英語の文法の時間に「形容詞(adjective)」の学習がほぼ同時並行的になされたのかもしれない。
こんな状況になれば、生徒にとってはそのような疑問が出るのは当然と言えば当然かもしれない。
ここでは厳密には触れないが、国語の文法とりわけ学校文法においては、橋本文法の流れを汲んでいて当然、形容動詞の存在を認める立場であるが、周知のように、当然、形容動詞を認めない立場もある。古くから、なかなか決着のつかない興味深い問題である。
英語には、形容動詞がないから、それは形容詞に含めるとでも説明している先生もいる。
どこまで詳しく中学生のわかるように説明するかはいろいろと頭を悩ませるところである。
次に、これは、ずいぶん前のことであるが、「学校で地理の時間に北陸地方は豪雪地帯になるのにシベリア気団が影響しており、その冷たい風が山に当たって雪を降らすと習ったけれど、理科の時間にシベリア気団は乾燥していて冷たいと習いました。なぜ乾燥した風が山に当たって雪を降らすのですか。おかしくはありませんか?」という質問が出た。これも、もっともな質問である。温度の割と高い暖流の上を北西から吹いてくる季節風が通過する際水蒸気を多く含む風となって、高い山にぶつかり上昇し、飽和水蒸気量に限りなく近づき、大量の雪雲になる。だからそれが原因で豪雪になるのである。
今、たった二つのだけの実例を挙げたにすぎないが、このような例は他の教科間においてもいくつもある。
国語は国語の教科だけが、英語は英語の教科だけが、あるいは、地理は地理の教科だけが、理科は理科の教科だけがそれぞれに独立しているという考え方は、いかがなものと思うが、みなさんは、どのようにお考えになるだろうか。学問の個別化の影響が特にこの点に如実にあらわれているような気がするのは、私だけなのか。
特に後者の問題は、地理や社会の教科の問題ということより、豪雪地帯になる因果関係を探るという純粋な生徒の疑問に答えるようにするためには、教師間であらかじめ、共通するテーマは十分埋め合わせておく必要があるのではないか?