★中学数学の解答用紙のスペースをめぐる問題

★中学数学の解答用紙のスペースをめぐる問題

これは、すべてに当てはまるわけでもなく、数少ない例から私が抱く一感想にすぎないが、中学生の数学の解答用紙のスペースを見て感じる、いわばどうでもよい些細なことである。

まず、大雑把に3つの時期に便宜上分けてみようと思う。

まず30年ほど前は、たとえ答えそのものが間違えていたとしても、あるいは、最後の正解までたどりつかなくても、計算の途中経過はほぼ全員解答用紙に書いてあった。解答用紙のスペースがかなりあったし、私自身も問題を作るとき、そのような一般的傾向に合わせたのである。そんなわけで間違えた考え方をしても、この生徒はどういうふうに間違えた考え方をしてきたかが、その解答欄の跡からこちら側がある程度読み取ることができたのである。だから、答案を返すときもその点のアドバイスがしやすかった。したがって、途中までは中間点をあげる場合もあった。

20年くらい前になると、解答用紙も答えだけを書くところが多くなってきた。(※もちろん、やや複雑な融合問題である図形の証明問題等は学校の定期テストでは必ずしも穴埋め問題だけではなく完全証明をさせるケースもあったのだが…)そんなわけで、こちらでは、採点時にあらかじめ生徒に渡した計算用紙を回収して、よく見ないと、たとえ、よく見たとしてもなかなかどういう過程でそのような結果が出たかを判別するのに手こずったり、本人に後からいちいち聞かないとよくわからないのである。

10年くらい前からは、ますます解答用紙にはスペースがなくなり、結果のみを書くような傾向があるように思えた。

これは、あたかも地球環境にやさしい紙の無駄を省くことを推奨するのに貢献しているのか?と揶揄したくなるくらいである。(※これは誤解があってはいけないので、言っておくが、地球環境にやさしいということはとても大切であるとは十分認識しているつもりであるが、中学数学の思考過程を明瞭にすることは、それに劣らず重要だと言う意味で言ったに過ぎない。)

それに、模擬テストやこちらが作った実力テスト実施の際、計算用紙をあげようとすると、「いりません。」という生徒がだんだん増えてきたような気がする。

ずいぶん前、数学の塾教材を作っている会社に招かれて、その数学の教材の特徴を見せてもらったことがある。

やはり、問題と問題の間にかなりスペースがとってあるものであった。これなら、生徒も途中経過をしっかり書けるし、筋道をたてて考えた跡がしっかりと残り、こちらの採点する楽しみも出てくるものだと感心したことを覚えている。その会社もそのような問題意識に基づいて教材を作成していたようである。

近頃は(かなり前からともいえるかな?)、神奈川県の数学の最初の計算問題はマークシートである。どういう意図があるかは、よくわからないが、正解が当たる確率から考えると確かに合理的かもしれないが、かつて同じ神奈川県の入試を受けた身としては、ただただ驚くばかりである。

そういう私こそ「生きた化石」とよばれるのかもしれないな?(笑い)